橘香る楽園の鳥羽へ

 橘の神話で、垂仁天皇が橘を求めた目的は何だったのでしょうか。

 それは、橘を植えることによって、そのかぐわしい香りのなかに、国常立尊(くにとこたちのみこと)が治められていた、常春の『常世国』(エデンの園のような楽園)の祭政の息吹を、再び垂仁朝の御世に甦らせたいという祈りがあったからでした。

 このように香り豊かな橘は、皇室とも深いかかわりがあり、人々の真の平和な暮らし、理想的な国づくりへの祈りが込められたものでした。

 古代において橘を嗅ぐということは、単に人物を思い出すばかりでなく、理想郷として『常世』や、本来のヒトのあるべき姿(浄らかな魂)、本性を甦らせたいという切々とした祈りの行為でありました。

 お正月には鏡餅の上にミカンが置かれます。柿や桃、リンゴはなぜか置きません。橙とかミカンでなければならないのは、橘の原点回帰、初心に還るという伝承が元にあったからなのです。

 21世紀をむかえて、私たちは、大きな生き方の転換を迫られていることに、大なり小なり気づきはじめております。そして自分中心、人間中心の「生きる」でなく、「生かされているなかで生きる」というエコロジカルな意識に切り替えていく必要があることも理解しはじめております。

 しかし、これを理屈で理解するだけでは不十分であります。「生かされている」と実感できることによって、現在の混沌とした行き詰まりの状態を抜けて、未来の新しい世紀の人間のあり方が見えてくるように思われます。そこに嗅覚という本能的な感覚の今日的な意味もあるようです。

 このようなことから、鳥羽市は、私たちが真の人間性を忘れないで、甦らせていくという祈りを込めて、市の木でもある『やまとたちばな』を市内に数千本植樹し、大和人の息吹あふれる、「たちばな香る楽園の鳥羽」をめざしております。

 常世国、楽園の象徴である『やまとたちばな』の香る鳥羽へのお越しを心よりお待ちいたしております。