歌に詠まれた橘

 古くから日本人に親しまれてきた橘は、『万葉集』に詠まれている植物では、萩・梅・松とともに多く、70首ちかくあります。特に香りを詠んだものでは最も多いようです。

橘の にほへる香かも ほととぎす 鳴く夜の雨に うつろひぬらむ
訳・・・橘漂っている香りは、このほととぎすの鳴く夜の雨で、消え失せてしまっているのだろうかなあ。

風に散る 花橘を 袖に受けて 君が御跡と 偲びつるかも

訳・・・風で散る花橘を袖に受けて、それをあなたの記念としてお偲びしたことよ。
この歌は『古今集』の次の歌に引き継がれていきます。


五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする
訳・・・五月を待って咲く花橘の香りを嗅ぐと、昔親しんだ人(恋人)の袖に焚き込めた香りが思い出される。

 ある匂いを嗅いで、過去の記憶がまざまざと甦ってくるという経験は、多くの方がお持ちのことでしょう。嗅覚によって思い出された記憶は、驚くほどリアルなもので、その時の感情までもが甦ってきます。このことを「香りの履歴現象」ともいいます。

 「五月待つ」の歌で詠まれた橘の香りによってある人物(恋人)を思い出すというのも、これにあてはまります。


 橘の歌が思い出や懐かしさを主題とするものが多いこと、つまり過去の記憶を甦らせるという嗅覚に特徴的な要素と結びついていることは興味深いことです。

文化の象徴としての橘

 学術・芸術の分野の最高の名誉とされる文化勲章は、橘をデザインしたものです。文化勲章のデザインが橘になったのには興味深い話があります。最初は桜にする予定であったそうですが、昭和天皇が「桜は潔く散る花だから武士道を象徴する」と述べられて橘を提案、変更されたといわれております。

 また源・平・藤・橘を古代の四大氏といいますが、橘と名乗る氏の系譜も、政治・軍事面より文化的な面、学問や芸術に関しての才能が豊かな人が多かったようです。