鳥羽図鑑

mikimoto

御木本幸吉【みきもとこうきち】

御木本真珠島

「世界中の女性の首を真珠でしめてごらんにいれます」。
明治38年、幸吉が伊勢神宮に行幸された明治天皇に申し上げた言葉だ。当時、幸吉は真珠を真円にするための研究途中。今でこそ、真珠は身近なアクセサリーになったが、身につけることが出来るのは、限られた一部の人だけだった。
 江戸末期、鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男として誕生した幸吉は、地元の産品の中でもとりわけ真珠が高値で取引されているのを知った。アコヤ貝の増産に始まり、「八方ころがし」と呼ばれる真円真珠の養殖に至るまで、幸吉は並々ならぬ苦労と努力を重ねるが、養殖成功の陰には、様々な商売から得た経験と生まれ持った知恵が大きな力を発揮した。
 例えば、こんな話が残っている。幸吉が17歳のころ、英国の測量船が入港した際に、卵を売ろうと船に乗り込み、覚えたての英語で「エグズ!エグズ!」と売り込むものの、相手にされないとみるや、得意の足芸で桶の蓋を回して見せ、乗員に気に入られて商売をすることができたという。
 戦後、占領軍の将校が訪ねてくれば、大歓迎したとも。帰国した彼らの口コミが、さらに多くの顧客となって返ってくるのを読んでいたのだろう。またあるとき時は「真珠は霊薬と聞くが、本当か」と尋ねられると、「そうでしょう。特にご婦人の病気なら真珠の首飾りでたちどころに治ります」と返したという。
 世界中の女性を真珠で美しくしようと、試行錯誤や失敗を繰り返しながら養殖成功へと邁進した幸吉。彼のその功績はミキモト真珠島で知ることができる。
 成功後伊勢志摩国立公園にすること、神宮(御木本道路)など地域貢献も数多い。