鳥羽図鑑

御食国文化【みけつくにぶんか】

御食国(みけつくに)をご存知だろうか。古代から平安時代まで、贄つまり、皇室・朝廷に海産物を中心とした食料を貢いだとされる国のことだ。律令制のもと、租庸調の税がそれぞれの国に課せられていたが、これとは別に贄を納める国が決まっており、若狭、淡路、志摩の三つの国がそれに該当すると考えられている。

神宮のお膝元の志摩国は元来、鰒や塩などといった海産物を、神様のお食事である神饌として納めていた。こういった豊かな海産物を有する国を統治下に置くことは、当時の政治としては権力を示す象徴だったと考えられる。『延喜式』によれば、志摩国はアワビ、サザエなどを10日ごとに納めるよう定められていた。

さて、ここからが答志島と深く関わりのある話になる。平城京跡から見つかった、海産物を納めた際の荷札に当たる木簡の中に、鳥羽湾に浮かぶ島のひとつ「答志島」との関係を裏付ける資料がある。志摩国は答志、英虞の二郡であった時期があり、答志は郡の名になるほど、重要な役割を果たしてきた島だと思われる。

面積約7平方キロメートルのこの島は、実は『記紀』や『万葉集』にも登場する。島の名の由来は諸説があるが、鎌倉時代に日本に伝わった禅にある「あこがれや喜びを求める志は、どんなに高い所のものでも打ち落とそうとする勇猛な心と、どんなに深い所にいる魚でも釣り上げてやろうとする遠大な希望を持って臨めば、必ず答えられる」という教えが元になっているという説がある。

島には答志、和具、桃取の三つの集落がある。1899年、英国の博物愛好家、リチャード・ゴードンスミスはこの島を「トシ」と呼び、島で出会った海女たちの様子を「衣服をまとわないのに高潔で礼儀正しい海の住人」と記している。

神様のお墨付きともいえる、御食国答志島の魚介類。それは、漁業をなりわいとし、伝統文化を守りながら心豊かに暮らす人たちによって守られ、引き継がれている。答志島は深い歴史の流れに寄り添うように、海の住人が暮らす神秘の島なのだ。