鳥羽図鑑

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春雨展望台 菅崎園地【はるさめてんぼうだい すげざきえんち】

相差町

春雨とは、駆逐艦の名。かつてこの岬で座礁し、沈没した駆逐艦「春雨」の殉職者慰霊塔がここにある。死者45人という大惨事だったが、救出には相差の青年団や漁師、海女たちが協力したと伝えられる。

展望台にあるパネルによると、当時の様子はこうだ。

駆逐艦「春雨」は、日本の国産第一号として、明治36年に竣工。同44年11月23日の夕方、志摩沖にさしかかったとき、大しけに遭遇し、的矢湾への避難を決めた。夜に入ると風雨は一層強まり、菅崎海岸の暗礁に乗り上げてしまった。

翌24日の早朝、地元の男性が浜で、ひん死の重傷を負った少年が浜で倒れているのを発見。少年は春雨の座礁を告げ、助けを求めた。
村役場には対策本部が設けられ、本部長が、泳いで春雨にたどり着く自信のある者3名は名乗り出るよう呼び掛けた。
荒れる海。生きて戻れる保証はどこにもない。この無謀ともいえる提案にも、3名が名乗りをあげた。ようやく泳ぎ着いた3名は、沈みゆく春雨の煙突の上で助けを待つ水夫を助けようとするも、大波が襲いかかり、水夫の身体は海の中へとさらわれた。
とその時、地元の人が海に飛び込み、水夫を助け上げた。浜からは女性も海に身を投じ、救助に当たった。

こうした地元の人々の命をかけた救助活動で、8名が命を救われた。
昭和12年、春雨艦殉難の碑が建てられ、以来、毎年11月24日に慰霊行事が営まれている。

あの日から長い年月が過ぎたが、地元の人々は、決死の救助の物語を伝え、海上での安全を祈り続けている。

展望台からは的矢湾や太平洋が一望でき、リアス式海岸に沈む夕陽が楽しめる。「常永久(とことわ)の鐘」はカップルで鳴らすと、幸せになれるともいわれる。